2022/04/23 16:01



こんにちは。
桜の花です。

海岳勇樹を通しエッセイを書きます。

さて、なにを題材にしようか?

近頃の騒ぎなどを題材にしてもつまらぬ。

そうだな、心のことでも書いてみようか。

思ったらば言葉にするゆえ、多少の違和感はお許し願いたい。

あのとき、私は思った。

しかし、なぜあんなものが存在するのか。

私は思う。
ごくわずかな心のゴミ。

いらないようで必要なそれは、実をいうと心の最深部を守るためにあるということはわかるが、幼な子がかるがるくちにするそれは、ひとつの冒険だ。

食べられるのかどうなのか、その判断はじつをいうと本能ではない。

なぜならば、それはこころを構築するために天の世界より最初に与えられた宝ものであるからだ。

ゴミのように見える、それはじつは自分自身の分身であり、愛すべきものである。

ああ!なんということか!

見えないそれはマスターキーであり。
アルファでありオメガである。

それをよく見る方法がある。

瞑想というものがあるが、それよりもはるかに簡単で優しい方法がある。

それは直感的でもあるし、なによりもよく見える。

その優しい方法とは、自分の持ち物をみるとよい。

ここまでで、なんのことなのかは、わからぬかもしれぬ。

でも、遠回しに言うのはやめよう。

その持ち物というのは、抽象的な、あいまいな、目に見えないものではなく、実在するそれである。なんだろう?携帯電話であったりスマートフォンであったり、テレビであったりするさわれるもののことだ。

自分の身のまわりをみてほしい。

共通の何かがあるはず。

おなじカテゴリーのなにかが、ひとつではないにしろ、あるはずだ。

直感を感じてほしい。

そして、直感を信じてほしい。

ただ、なんとなくねという直感はほんとうはすごいものなんだよと、誰かが言っていたが、本当だ。

引き寄せたゴミは無視しても良いが、心の小さなゴミは無視してはならない。

心の小さなゴミは、遠ざかろうとすればするほど輝きを失う。

思えば、あの頃につちかった体験のすべては心の小さなゴミによるものだった。

思い出して欲しい、子供の頃を純粋な気持ちを。

心は知っている、でもそのメッセージを聴くためには純粋な気持ちの時になにが欲しいと思うか?それが大事だ。

その声を聴くようになると、あなたは遅かれ早かれ、心のゴミのようにみえていたものが宝ものであることにきづくだろう。

大事なのは子供のころって、なにが好きだったか?である。

思い出しながら、それをたどればよい。

それが心の冒険なのだ。

冒険がはじまった時、心のゴミのように見えていたものは輝きを増し真の姿を見せるようになるだろう。

おわり

by桜の花
セッションby海岳勇樹(みたけゆうき)

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タイトル「Starlight therapy」

セッションby海岳勇樹

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時の流れを 夢みている

言葉の中にある

美しい 波動を感じて

開く時を

数多の中に宿る

精霊の 御胸に 抱かれて

歩く 千夜の影

光あるところに 愛が満ちる

苦しみさえも いとわぬ

心が 真実の愛を 照らすよ

悲しみも やがて いつかは

変わるよ 心の中の聖地に

許しのたびを いままさに

終えるとき新しい 光が

見えてくる

繋いだゆびさき

こころにやどる とわの命

(チャネリング アマテラスオオミカミ)