2022/04/23 16:18



こんにちは!

私は桜の花です。

エッセイ1やエッセイ2とは違う桜の花です。海岳勇樹を通し文章をおろします。

あるとき、私は非常によい状態を体験しました。最初はどこからくるのか、わからなかった、そのエネルギーは至高の存在から送られてきていました。

思いました。私はなぜ、このようなエネルギーをうけとるのにいたったのか。

はじめは、これがなんなのか、わからずとまどいました。私はこれがどこからくるのか直感的には理解していましたが、しばらくは、なにがなんなのか、わからず混乱しました。

まだ、神様として若かりしときのお話です。

非常に優秀な神様に私がつかえていたころ、私はある夢を見ました。ビジョンといってもいいかもしれません。

私のまわりにはさまざまな神様がいて、ある種のトレーニングを受けていました。修行というとなんだか、かたくるしくてあまり好きではないですが、まあ、修行のようなものです。

一般の霊から、神様の道へはいるとき、私はイニシエーションという、言ってみれば通過儀礼のようなものを受けました。

そして、私は神様の道を歩むことになったのです。

私は今は、なんの不思議もなく、根源、ソースからのエネルギーを受けとることができますが、あのときは混乱しました。知らないという事、理解していないという事は、ある種の恐怖をまねきます。

不安がおそってくるのです。だから私は師にすがりました。なぜでしょうか?私はなんどもそうに質問したのです。

思うに私は体験していないだけに、えたいのしれないものに恐怖を感じていたのかもしれません。

この体験から大事なのは、知ることと、まなびました。知らないから怖いのです。

そこで私は師にたずねました。

いったい、いつになったら、これは終わるのでしょうか?

師はいいました。

わかるようになる。そして、知るようになる。そうすれば終わる。

そうすれば終わると教えてもらった私はたんに終わるのかと、思っていたが、じつのところ、これは、はじまりに過ぎなかったのです。

大切なことは知ることではなく、受け入れることでした。不思議なことに恐怖は避けるのではなく、たんたんと受け入れることで消えていきました。

じつはこの恐怖は、じぶんのなかのエネルギーであり、前のエッセイ1でも書かれた心のゴミと、にかよったものでもありますが神様の道、修行の道ではことさらにこのエネルギーが強調されます。

これさえも、自分の宝であったのです。

私はいまでこそ、このエネルギーをあつかい、マスターとまで言われるようになりましたが、あのときは、なんというのでしょうか、そんなことでつまづいていたのかと思います。

この体験から、知らないから怖いのだと学びました。大事なのはよく知ることであり、体験にぼつにゅうすることによって自分の価値や世界を変えていくことであり、最初から宝物はあったのだと気づくことです。

善は闇からなり、光はあまたのつるぎです。

ここだけ聴くと意味がわかりませんが、これを理解しようと、こころみる事が大切です。

こころみる事により、ひとそれぞれにインスピレーションがおります。

私はまだ、発展の途上にあり、学びの旅は終わらないと考えています。いや、むしろ終わって欲しくない。

なぜなら、成長することは学びよりも楽しいからです。そのための学びなのです。

楽しい!ただ、それにつきる。

遊んでるのではないただ、没頭しているのだと誰かが言っていたが、

なるほどそうなのか。と、最近では思うようになった。

ある人にとってつらい、修行でも、ある人にとっては楽しい修行なのだ。

私はこの体験から、みずからを、一歩ひいてみるようになった。

さて、

稚拙な文を書いてみたが、おわかりいただけただろうか?

わからなければ、まだ知る時ではない。

いずれ、わかる時が来る。

さてと、きょうも散歩にでかけるとするか。

お付き合い頂き、ありがとうございました!

by桜の花
セッションby海岳勇樹(みたけゆうき)


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タイトル「Starlight therapy」

セッションby海岳勇樹

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時の流れを 夢みている

言葉の中にある

美しい 波動を感じて

開く時を

数多の中に宿る

精霊の 御胸に 抱かれて

歩く 千夜の影

光あるところに 愛が満ちる

苦しみさえも いとわぬ

心が 真実の愛を 照らすよ

悲しみも やがて いつかは

変わるよ 心の中の聖地に

許しのたびを いままさに

終えるとき新しい 光が

見えてくる

繋いだゆびさき

こころにやどる とわの命

(チャネリング アマテラスオオミカミ)